妻の実家で、義理の母親と同居しました。
1年たって解消しました。
同居のストレスがなくなり、本当にラクになりました。
お世話になった姑には心から感謝しています。
でも別々に暮らし始めて
双方にとって本当によかったと実感しています。
本当に必要な同居か
同居にはメリットがたくさんありますが
「メリットがある」は「必要である」とイコールではありません。
メリットがあることで同居を選ぶと後でたいへんになりがちです。
高齢の親の世話ができる
高齢の親がいっしょに住みたがっている
家賃が助かる
実家のメンテナンスがしやすい
などはメリットです。
考える必要があるのは
本当の必要は何か
です。
親の世話は同居が必要なレベルでしょうか?
関心や連絡、訪問を増やせば、親の必要は満たせませんか?
同居は経済面でラクになりますが
同居しなければやっていけないほどたいへんでしょうか?
本当の必要を見きわめて決定しましょう。
わたしたちはパンデミックのため、急きょ帰国したとき同居しはじめました。
義理の母がいっしょに住めばいいよと言ってくれたからです。
半年くらいのつもりが長引きそうになったころ、はやめに近くに家を借りて出ようと決めました。
いっしょに住めばいいよと言ってはいても、ずっといっしょは困るという姑の気持ちが分かってきたからです。
一人の方がいいと思っている高齢者が、いっしょに住んでもいいよという場合、本当にその必要がないのなら、ずっといっしょに住まないほうがよいのだと理解できました。
同居する親のストレス
自尊心が傷ついた
高齢の親の行動はしばしば、あぶなかったり、不健康だったり、要領が悪かったりしませんか?
他人だとそこまで気にならないのに、親だと気になるものです。
つい口を出してしまい、えらそうになります。
親は子どもではなく、知恵や経験があるので、自尊心が傷つけられたと感じ抵抗します。
抵抗されると、親のまちがいをもっとはっきり分からせようとしてしまいます。
親は何もいえなくなります。
物を捨てられた
不要や不用な物が多いのを整理しようとすると、まだ使えると抵抗します。
たとえ使えても、同じものがあれば不要です。空間がもったいない。
たとえ修理できても、何年も修理していません。もうゴミです。
説得して納得してもらい処分します。
しばらくして何が残っていることに気づくでしょうか?
親の心の中のわだかまりです。
自分の物を捨てられたという気持ちです。
納得したようでも、スピードに気持ちがついてこれないようです。
親のためを思っていても,望んでいないことをされると、親としてはストレスがたまるばかりです。
同居する子どものストレス
いつも干渉される
親はとにかく世話をやきたがり、口を出したがりますよね。
敬意をはらうのがたいせつ、聞き流せばいいのは分かっていても、あまりに多いとうんざりです。
「ありがためいわく」という言葉を痛感しました。
もし小さい子どもがいれば、子供のしつけに口出しされたり、甘やかされたりして、もっとたいへんだったでしょう。
イライラする自分がイヤになる
つい親に注意してしまい、親が何も言えなくなってしまうと
落ち込むのは親だけではありません。
注意した側も落ち込みます。
妻はよく自己嫌悪におちいって、泣いていました。
節約の意識の違い
それほど変わらないのに、電気や水のことを口うるさく言われることはないですか。
わたしたちの場合、光熱費を多めに分担し、親の負担はラクになっているのに、電気代が高い、水道代が高いと気にされるのにまいりました。
おふろにはいるのもつい遠慮してしまいます。
でも親のほうは他のことでけっこうお金を使っていることがあります。
グチっぽくなってきたので、もうやめます。
同居をやめる(しない)メリット
親と子どもの両方がラクになります。
たとえば一緒に食べる料理の味つけをたとえにしましょう。
濃い味が好きな親は、うすい味が好きな子どもに遠慮して、塩を少なめにします。
親にとっては薄い味で不満足です。
では子どもの方は満足でしょうか?
おそらく子どもにとってはまだ濃いめに感じられて、やはり不満足でしょう。
けっきょく誰も満足できない料理ができあがります。
みんなが口に合わない料理を食べます。
双方の中間点は、けっきょく双方うれしくない状態なのです。
ゆずる美しい努力の結果がそうなってしまいます。
これに気づいて同居を解消することを真剣に考えました。
ゆずるのではなく、双方が主張し合う場合は、もっと大変です。
ほどよいキョリ感がカギ
今は近くに小さな家を借りて住んでいます。
毎週訪ねて、食事したり、庭や家のメンテナンスやスマホの手伝いをしたりしています。
義理の母も今はあれ食べたら、お茶飲んだらと歓迎してくれます。
妻もわたしも体調がよくなってきました。
ストレスが心身に影響していたのでしょうね。
同居せず、定期的に交流し気づかい合うのが、ほどよいキョリ感で落ち着いています。
本当の必要が生じれば、またいっしょに住むでしょう。
まとめ
同居の経験は本当によかったです。
自分の弱さなどたくさん気づきました。
人格を向上させる努力を始める良いきっかけになりました。
苦もなく同居している友人を見ると、すごいなぁと思います。
だれにでも当てはまる正しい方法のようなものはありません。
注意深い計画、協力、コミュニケーションで、今後も変化していく状況に対応していきたいです。
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